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デム・ホット イン テキサス

テキサス移住40年。シルクロードやアジアの旅の思いでも書いて行きます。 特に若い人たちへの将来の参考になれば光栄です。

小室ママ

最近は、小室夫婦についての話題を書くことがバカバカしく思えてきた。私は常に一般人の常識の視点から、彼らへの思いを書いてきたつもりであるが、彼らは「一般人の常識の範囲を超えた」ロイヤル・パワーを駆使して全てを処理するので、何だか自分がマヌケに思えてしまうものだ。

私はヤフー・ニュースなどは、まず、トピックスのタイトルを見て興味があればクリックし、本文を読む前にニュース・ソースを確認する。その際に、週刊誌がソースであれば、基本的に読むことはない。先日、忙しさに追われつい、ソースを確認すること無く小室夫妻の記事の本文を読んでそのレベルの低さに呆れて、誰がこんな記事を書くんだろうとニュース・ソースを確認してそれが女性週刊誌であることがわかると、無駄な時間を浪費したと非常に後味が悪い思いをした。いくら商売とは言え、こんなくだらん記事を書いて一度しか無い人生が虚しくないのだろうかと思ったが、良く良く考えると私の考えが間違っているのかとも思えてきた。
つまり、週刊誌の記者は芸能人と同じなのだと。日常の生活の中のフラストレーション解消と、お笑いネタとして読めば良いのであり、そのような記事で楽しんでいる人達がいるのだろうと。

小室ママの最近のニュースとして、脅迫被害を受けており、恐怖から息子のいるニューヨーク行きを模索しているらしい。本来なら「年金搾取」でブタ箱へ入っていてもおかしくない人物なのに、どうなっているのだろう。警察も体面上から、これ以上告訴状受理の決断を延ばせないので、小室ママのニューヨーク逃亡を誰かが画策しているのではと、私は邪推してしまう。

出産の前後の2~3ヶ月間、母親が娘の手伝いで同居することは世間では良くあることであり、その場合は日本人であればヴィザなしでも数ヶ月滞在は出来る。小室夫婦は自分たちのヴィザ取得でも疑惑だらけであるのだから、母親の長期滞在ヴィザ取得は天文学的数字の確率で不可能のはずである。しかし、ロイヤル・パワーで外務省職員の身分としてヴィザを取らせるような裏技を取る可能性もある。

仮にロイヤル・パワーで小室ママの長期ヴィザが取れたとする。となっても、1ベッドルームのコンドーでは夫婦と同居とはいかず、同じコンドー内に母親用に別の1~2ベッドルームを借りることになる。或いは、3人で2~3ベッドルームを借りるとしても、その家賃は外務省=税金から払うことになるのだろうから、国民はさらにコケにされることになる。

私の人生において、知人から「嫁と姑」の関係がうまく行っている話は聞いたことが無い。逆に「修羅場、葛藤」の話は一冊の本になるほど聞いている。
あの小室妖怪ママと姫君が「嫁と姑」としてうまく行くとは私にはとても思えない。さらに、小室圭氏は日本を代表するマザー・コンプレックス男である。私には修羅場の将来しか想像が出来ない。

私には母親がいなかったので、私の女房は「嫁と姑の葛藤が無い」として、友達から羨ましがられているとは何度も聞いたものである。友達のその争いの内容や原因を幾つも女房から聞いたことはあるし、私の友人からも「嫁と姑の板挟み」になって、うろたえている話や愚痴は幾つも聞いたことがある。
その話の内容は、男の私から見れば「取るに足らない」些細なことで争っていると思えるのだが、当人同士は醜く争い、離婚となった知人もいたものである。

女房の友達の中で、度々、私の家へ「避難」していた者があった。子供が産まれたので、亭主の母親が手伝いに来たらしい。亭主の母親は孫用に「自作の枕」を持ってテキサスへ来た。しかし、その枕は赤ん坊を仰向けに寝かせる仕様であったらしい。息子夫婦は当然のこととして、これまでずっと「うつ伏せ」で寝かせていた。そこで寝かせ方で嫁と姑の戦争が始まり、双方共に譲らない。間に立って困ったのが亭主である。一応、妥協案として「母親はそんなに永くいるわけでもないので、その間は母親自作の枕で仰向けで、母親が帰ったらうつ伏せで」と提案すると嫁がブチギレて我が家へ3日ほど逃亡したのであった。
私の女房が「あんたならどうする?」と聞いたので、「それは母親が悪い。孫とはいえ、自分の子供ではないし、責任も無いのだから嫁の方針に従うしかないだろう」と言うと女房は、「そんな理屈で納得する母親で無いから苦労しているのだから」とニベもなかった。
私にしてみれば、「実にくだらん」ことであった。

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老人の健康

私は前立腺がんの病院による、PSAとテストステロンの血液検査を半年ごとに受けている。さらに、ファミリー・ドクターによる、血液、尿検査を現在では半年ごとに受けている。この検査ではおよそ70項目に及ぶテスト結果が出るので、現在の健康状態をある程度予測できるであろうと思っている。

私はキリスト教で言われている死後の世界は無いと思っているし、死への恐怖は無いと思っている。事故、或いは医療の方法が無くなって寿命が尽きるのであれば冷静に受け取れるだろうと思っている。ただし、死にたいとは思わないし、できれば女房と子どもたちと永く人生を伴にしたいという欲はある。
特に14年前の心臓、約8年前の前立腺がんの手術の時には、子どもたちも学生だったので、「まだくたばるわけにはいかん」ということで、中学生頃から始めた飲酒を止めたし、鶏肉以外の肉食も止めてしまった。そして食事は野菜と果物を大量に摂り、夕食は8時前に終えるという、かっては考えられなかった生活スタイルをとることになった。

神のご加護か、精進の甲斐があったのかは分からないが、ここ数年間は血液、尿検査では、許容値ギリギリのものが幾つかあるが、70項目全部が何とか許容値内に収まっているという幸運が続いている。
一週間ほど前に行った最新の血液、尿検査の結果が出た。

かねてより減少気味であった「血小板」の数値が、今回始めて基準よりほんの少しであるが下回った。
私は心臓の冠動脈に血栓が出来たことで手術を受けた。それ以後は血液を常にサラサラにするということで、「ベィビー・アスピリン」を摂り続けた結果で血小板の減少が続いているのではと私は推測している。つまり、「あちらを立てればこちらが立たず」の矛盾であろうと思う。

私が一番苦慮しているのが、血糖値のコントロールである。「グルコース」の値は94と高いが一応基準内ではある。
もっと大事なのは「ヘモグロビンA1c」であるが、こちらは5.6とかろうじて基準内ではあるが、糖尿病予備軍になるかどうかの瀬戸際であると思う。
食生活を変えてから野菜、果物を大量に摂っているが、どうしても果糖の量が増えてしまう。肉やバター類は全く食べなくなったので、その分のエネルギー源としての果物の量が増えてしまう。
この矛盾を皆様はどう克服しているのだろうかと、いつも考えてしまう。

トランクベイ・ヴァージン諸島
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宗教

前回は「旧統一教会」のことを書いたので、今回は「創価学会」のことを書いてみたい。この両宗教に共通しているのは、多くの日本人は朝鮮半島人には偏見を持っていたのに、半島出身者をリーダーとして神格化して崇拝していることであり、このことが私には理解が難しいことであった。
「創価学会」のことは通常、「学会」と呼ばれていたと記憶しているが、私が小学生の頃であったと思うが、当時は怒涛のブームがあったのではと思えるほどの熱気があったと記憶している。

我が家は片親の極貧家庭であったので、前世の報いから救済しなければならない絶好のターゲットであったのだろう、学会の信者による勧誘が凄まじかった。
九州の片田舎でもあり、電話などは無いのでアポイントメントもなく、夕飯が終わった時刻になると近所から多くの信者が勧誘に集まって来た。入り口には錠はかかっているわけでもなし、信者と言っても狭い田舎であり互いの顔は見知っている間柄だから、家に入って来た者を追い出すわけにはいかない。
時には5人、10人が集団となって私の父親に説教をするのである。さすがに、小学生の私達兄弟には勧誘の話なぞは無かったが、田舎の狭い部屋の中、大人同士の会話は宿題で忙しい私の耳にも入ってくる。
その会話の内容などはほぼ忘れてしまったが、あまりにもレベルが異様だったのか一つだけ覚えていることがある。
私の父は、この宗教には全く関心が無かったのであるが、顔見知りの間だからノラリクラリと話だけは毎日聞いていた。
その中に夫婦で来ていた信者が:

「私の子供が病気(筆者注:病名は忘れた)で長らく治療していたが一向に良くならなかった」
「医者から、もうこれ以上の治療は自分でも難しいと言われた」
「そこで我々としては、御仏にすがるしかないと思い、多くの仲間を家に呼んで毎日何時間も”お題目”を唱えた」
「そうすると、一週間もすると子供の具合が少し良くなり、一ヶ月も拝んでいると子供の容体がすっかり良くなった」
「これには医者も首をかしげて”不思議”だと言っていた」

というようなニュアンスの話を聞いた時には、小学生の私でもこんなレベルの話ではアカンだろうと思ったものだ。

毎日の怒涛の勧誘にも適当にあしらっていた父親に心境の変化が見えた。それを察したのは父の友人との大人同士の会話であったが:
友人:「今までは全く関心が無かったのにどうしたのですか?」
父:「イヤー、ワシも宗教などは全く関心が無かったのだけど、XXさんが学会の信仰で忙しくなったので頻繁に手伝いに行くようになったんだけど」
父:「XXさんは学問もあるし、経済力もあるのに、もう本当に信仰に打ち込んでいる姿を毎日傍で見ていると考えさせられる」
父:「XXさん病気になって、日々痩せ細っているのに全く医者にかからず、毎日何時間も拝んでいる姿を見ていると、この人の信仰の深さに自分も何かをしないという気にさせられる」

この後、私の記憶は曖昧ではあるが、我々兄弟が「勝手にすれば。ただし我々子どもたちを巻き添えにしないでくれ」と父に言ったと思うので、隠れて入信したのかもしれないと思う。
知人のXXさんは、今から考えるとガンの末期であり、痩せ細って亡くなったと思えるのだが、XXさんの逝去から私の父の熱意も冷めてしまったようだ。
その熱意の冷めた父を見て、上記にある自分の子供の病気がお経を唱えて治ったと言っていた人が私の父にどうしたのかと問い詰めていた。父が「XXさんは命を賭けてあれだけ祈ったのに亡くなってしまった」と言うと、その同じ人が:

「会長(筆者注:多分会長だったと記憶している)もおっしゃっていたではないですか、信心と病気は別だと。病気の時はちゃんと医者の治療を受けなければ」

これを傍で聞いた私は、そのダブル・スタンダードに子供心に再び「これはアカン」と思ったと記憶している。

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こんな記憶が残っていたのは、小学生の私が宗教に関心があったわけではなく、子供の頃に見た「日蓮と蒙古大襲来」という映画で「日蓮」という名前を知っていたからであろう。この映画の製作者である大映映画の永田雅一社長は、学会とは別宗派である日蓮宗の信者であったようである。私の記憶では、今で言う特撮映画であり、台風の嵐に破壊される元の船団と、嵐の中で一心に祈る日蓮と弟子たちのシーンが思い出される。
宗派が違うとは言え、この映画が当時の「学会」のブームの後押しになったのではとも思えるものである。

政教分離

安倍元首相のへの銃撃事件から、ネットのニュースで「旧統一教会」に関連する話題が多く見られるようになった。中には容疑者への同情、「旧統一教会」と安倍元首相との関係への批判もあるようだ。
ここへ来て日本のマス・メディアが一斉に「旧統一教会」の批判をしている事自体に、私は「何を今さら」という政治的な意図を感じる。「旧統一教会」と自民党議員を批判するのであれば、公明党はどうなんだという批判は何故無いのだろうか。
「政教分離」とは憲法にも謳われている理想であると思うが、現実的には国や宗教を問わず、政治家と宗教団体との癒着は知らない人がいないほどの事実である。

私自身も、岸信介元首相と文鮮明氏との関係はずっと前から知っていたし、安倍元首相も「旧統一教会」の大会に度々メッセージを送っていたことも知っていた。
民主主義社会においては「数」の多さで、国政のトップに立つことが可能となる。日本の場合は実質的に自民党のトップになることである。安倍元首相は宗教団体の票を当てにしなくても選挙に勝つであろうが、派閥、及び党のトップになれば、自分の能力で議員になれない者まで面倒を見なければならない。そのことを知っているからこそ、宗教団体が政治家に寄ってくる。
政教分離を厳密に求めるのであれば、残念ながら議員として選挙に勝てるのは、芸能人や労働組合の幹部だけになってしまう。
私としては不本意ではあるが、政治家としての吟侍や大局を見失わないのであれば、宗教団体に良い顔をすることは止められないのではと思うのである。

私は1980年代の始め頃からダラスで生活しているのであるが、当時は車の運転をして赤信号で車を停めていると、灼熱のテキサスの日差しで真っ黒に日焼けした東洋人の若い女性が、路上で「バラの花」を売っていた。私は買ったことが無かったので価格は記憶にないが、話す英語のアクセントや仕草から彼女たちは日本人であることは認識できた。
「統一教会」のことはこちらでは「ムーニー」と呼ばれ、彼女たちは信者による活動であることは誰でも知っていた。
日焼けを最も嫌う若い女性が、日中の日差しの中、アイスボックスや飲み物を脇に置いて真っ黒い顔で振りまいている愛嬌を見て、私は何かやるせない痛ましさを感じたのを覚えている。
このバラの花売り娘はいつ頃からかは記憶に無いが、今では全く見かけなくなってしまった。

アメリカの寿司業界の魚の流通のほぼ全てをコントロールしているのは、「旧統一教会」の関連会社であることは周知であり、アメリカの大手新聞でも報道されており、現在でもネットで検索すればあるようだ。

    知らぜらるアメリカの寿司の物語

また、「旧統一教会」系の寿司レストランも全米に多くある。「XXX花」とか、とにかく「花」が店名に付くのはこの協会系であると我々日系人の間では知られていた。
宗教団体やその信者たちが、寿司関連のビジネスを営むこと自体は批判されるものではないと思う。経営者や従業員が信者であろうと知っていても、我々は旨い料理を目的によく食べに行ったものである。
キチンと納税をしているのか、売上のどの位が団体本部に上納されているのかということには常に関心がある。

私の故郷の九州では、海岸線からさほど距離が無い山でも、意外と標高が高く、谷も深かった。私の中学校の同級生に山のほぼ頂上付近から通っている「M」がいた。彼は帰宅時間が遅れたり、嵐や雪などの天候が悪い時には、私の親友「S」の家に泊まることが多く、これは高校、社会人となっても続いていたようだ。
私はこの同級生「M」の山間の自宅へ遊びに行ったこともあり、中学校の近くの道路で同級生の父親に会ったことも何度かある。寡黙ではあったが、いつも笑顔を絶やさず、黙々と働いていた姿は今でもはっきりと思い出す。同級生「M」は一人息子でもあり、自分たちの夢の全てを子供に賭けている印象を私は持った。
貧しいながらもご両親は、息子を大学に進学させた。しかし、当時の大学は学生運動がまだ終わっていなかった。私は東京で生活していたが、この同級生「M」は学生運動にのめり込み学校は中退したという噂を故郷の親友「S」から聞いた。

さらに数年後、親友「S」からの話で同級生「M」は統一教会の信者となり、合同結婚式で選ばれた奥さんと生活しているらしいと聞いた。また親友「S」との電話での会話であるが、同級生「M」から朝鮮人参や、わけのわからん彫刻品とかを自宅や親戚に勝手に送り付けて来て、代金支払い書も同封しており、迷惑この上もないという愚痴を何度も聞いた記憶がある。

私がまだ東京で働いていた時ではあるが、久しぶりに帰郷した時に親友「S」の家へ立ち寄り、この時に親友のお父さんへご挨拶をした。

私:「ご無沙汰しておりました」
お父さん:「おう、元気であったか。しっかりと働いているか?」
私は技術屋として働いていることを説明し、また、仕事上の悩みや愚痴も話したと記憶している。

お父さん:「そりゃお前、世の中はそんなに簡単なものではないでー。お前もまだ若いんで、真面目に働いていればそのうち報われることもあるで」
お父さん:「ところでお前も同級生「M」を覚えているだろうが、この前うちに来たので意見をした。あのガキはわけのわからん宗教にかぶれて定職にもついておらんで、ワシは怒ってやった」
お父さん:「そしたら、あのガキはこんなことを言いやがった。(おじさん、日雇いで一日働いたら3日分の生活費が稼げるのに、何で定職に就いて縛られなければならんのですか?)」
お父さん:「そこでワシも頭にきて、(バカヤロー、人生はそんなもんではないだろう)と言ってやった」

それから月日が経つこと数十年。テキサス在住の私は小学校の同級生「K」とメールで連絡がとれるようになった。この「K」が中学校の同窓会で同級生「M」と会った時に、私とメールで連絡がとれるようになったと話をすると、私のメール・アドレスを教えてほしいと言われたらしい。そこで「K」がどうしたものかと私のメールに連絡が来たのであるが、私は数十年前のことではあるが、「M」と統一教会の経緯を説明し、現在は活動しているのかは知らないが、出来れば関わりにはなりたくないと返信をした。
ということで同級生「M」とは何十年も連絡をとってはいない。

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以上、長々と個人の思い出を含めて書いてきたが、殆どの一般人は常識の範囲で宗教団体との関わりを避けているのが実体であろうということを言いたかったのである。
教祖の文鮮明氏は反共であったことは広く知られている。また、この宗教団体自身も意外と保守的であることも知られている。
教団の関連会社である新聞社が、「コロナ・ヴァイルスは中国起源である」と最初に報道して中国からの反発を受けていることも周知の事実である。
ここへ来て、日本のマス・メディアは「統一教会系」の批判はするが、中国のお気に入りである「そーか学会」を批判しないのは何らかの意図はないのかと私は邪推してしまう。

銃撃

安倍元首相が銃弾に斃れてからほぼ2週間が経とうとしている。凶器の散弾銃からは12発の弾丸が撃たれたと推測できるのに、被害者が一人であったという奇跡から、狙撃手が他にもいたのではないかという多くの推測がネットで見られるようになった。一発目と二発目の銃撃の間に、「プシュッ」というライフルの射撃のような異音がヴィデオから聞こえるという報告もネットでアップされている。

現時点では、そのような推測をしても可能性としては全く排除できるわけではない。しかし、散弾銃とライフルでは弾丸の大きさも形状も違うわけだから、専門家であれば銃創の形状や大きさで判断できるだろうし、何よりも体の中から弾丸を見つければ容疑者の単独犯行であると容易に判断できるわけである。
しかし、解剖医によると銃弾は体内には無かったと言うし、警察もこの弾丸をまだ特定できていないことが多くの推測が巷に溢れることになったようである。
私の知っている範囲では、首の2ヶ所に射入創があり、左肩前部に弾が抜けたと思われる貫通創が一つあったらしい。もう一つの弾丸が心臓と血管を傷めこれが致命傷となったようだ。つまり、貫通創が一つだけということは、弾丸が体内に残っていると考えるのが自然である。ところが、解剖医の発表では無かったと言い、警察は何かの都合で発表出来ないのか知らないが、この曖昧さが多くの推測を呼ぶことになっていることには間違いは無い。
私自身も素人考えではあるが、X線あるいはCTスキャンで体内の弾丸を見つけられないのだろうかという疑問はある。

日本の警察も官僚組織の一部である。日本は先の大戦ではこの「日本独特のお役人体質」で敗けたと私はずっと主張してきた。この安倍元首相の暗殺も、福島原発事故も、知床遊覧船事故も全ての根本的原因は同じであり、ようするに、変わったように装っているだけで本質的には戦前と何も変わっていないのだとガッカリする。
つまり、官僚組織の中では全てが「員数合わせ」なのである。セキュリティー・ガードのことは日本では「SP」と呼ぶらしいが、今回の街頭演説会も10人の「SP」とその他の警護員も配備していたらしい。
警察組織としては、一流の激しい訓練を受けた優秀なSPを配備し、万全の警護体制を布いていたことに「建前上」はなっていた。
しかし、私から見る「一流、激しい」は彼らの一応数は揃っていますと言う「員数合わせ」だけであり、現場の危機対応では何の役にも立たなかったことが露呈してしまった。

今回の狙撃事件で、ネットにアップされている動画を見て私がさらにガッカリしたのは、2発目の銃弾が発射されて安倍首相が斃れても、周りの人達はボーッと突っ立っていたことである。そりゃ、平和社会に慣れた一般の人達は咄嗟の対応はできないであろうが、プロであるSPが容疑者の確保に5~6人が群がっていた。こんな小男には2人いれば充分であり、あの時点では他のSPは、別の狙撃犯を警戒しなければいけないのであり、そうであれば、一般人に「地面に伏せろ」、「早くここから逃げろ」等の誘導をすべきであったと私は思うのであるが。
ヴィデオで見える一般人は、ボーッと容疑者の逮捕を眺めているし、安倍首相が倒れても、周りにいる選挙関係者であろう幾人かはそこに突っ立ったままであり、第3発目があるかもという警戒心は全く見れなかった。